数日前の朝日新聞から。
経験を言葉にすることを人は翻訳の作業になぞらえる。言葉以前の経験も言葉として整えられて初めて形をなす。経験に浸っているだけではいつまでも経験の意味は明らかにならない。
「貴重な経験をした」「面白い本だった」「有意義な時間でした」
この時点では経験に満足して浸っているだけ。重要なのはそこからどれだけ自分の糧にしていくのか。その過程において、経験の言葉への翻訳は必要不可欠ということだ。
経験したことだけにあぐらをかいていてはただの凡人。むしろ身になっていないことをひけらかすだけの程度の低い人間に成り下がってしまう。このことを肝に銘じて、日々経験を言葉におこしていく作業を怠らないようにと自分に言い聞かせている。
というもの、そういう人は自分の無知を自覚できず、さらにはプライドも高くなりがちで、人のいうことを聞かず、自分の思い込みで物事を捉えがちになる。
考えてみればそういう人は周りにもゴロゴロいる。そういう人と接していると人間としての厚み、話の重みが全くないことに気づく。
なので、私の場合、初めての人に会う時は、まずそんな人か否かを判断する。そんな人であった場合、神様が私に教えてくれるためにその人に出会わせてくれたと感謝し、襟を正して自分の行いを省みるようにしている。
0 件のコメント:
コメントを投稿